
さて、後編は少し突っ込んだ話題でいきます



今回の建築視察のメインは、ジェフリー・バワを堪能することでしたが、もう一つ裏の目的がありましたね



そう、スリランカを代表する二つのホテルブランドを「はしご」視察する、という目的だ



「エイトキン・スペンス」と「ジェットウィング」、この2大企業です



エイトキン・スペンスのホテルブランドが「ヘリタンス(遺産)」


ヘリタンス・カンダラマ



去年は「ヘリタンス・カンダラマ」、今回は「ヘリタンス・アフンガッラ」を視察してきた



そして、もう一つは社名と同じ「ジェットウィング」
ジェットウィング(Jetwing)



ジェットウィングはファミリー企業で、ホテルだけでなく、旅行業や航空業務まで関連を横断的に展開しているグループ構造になっています。



クーレイ氏は29歳で父親から建設業を引き継ぎ、その頃バワの設計した住宅を、家業のクーレイ建設が引き受けています



ジェットウィング・ラグーンの前身「ブルー・ラグーン」の建設を依頼されたのが、クーレイ氏が35歳ぐらいの頃ですね



その後の経験がクーレイ氏をホテル運営へと導いたのか



ジェットウィング・グループの始まりは1973年、クーレイ氏が44歳のとき



今回、ジェットウィング・ラグーンとジェットウィング・ライトハウス、それとジェットウィングからユニオン・リゾーツに引き継がれたザ・ブルー・ウォーターという、バワ建築3ヶ所を駆け巡りましたね



タイトなスケジュールだったけれど、やはり体感しなくては
ジェットウィング・ラグーン
スリランカ西海岸の町ネゴンボ(Negombo)郊外タラヘナ地区にあり、静かなラグーン(潟湖)とインド洋のビーチに挟まれたリゾートホテル、「ウェルネス(Wellness)」をテーマに、大人限定(Adults Only)の落ち着いたプライベート空間を満喫できる。



こちらのホテルは、18歳未満は利用できないんですよ



いいね、ありだよ


ジェットウィング・ラグーンの顔、100mプール。



ジェットウィング・ラグーンはすごくいい、何がってまず空港から近いから、夕方に到着する便だと楽だよね



今回の視察はオフシーズンだから人が少なくて、100mプールは独り占めだった



笑よかったですね


インド洋を見渡すビーチ
レセプションの前の通りを渡るとビーチ、目の前に広がるのはインド洋!なのですが、犬がうろうろしていたので、ここで退散。



日本と違って首輪をつけていない犬がいっぱい歩いてるのが、ちょっと….



苦手ですもんね笑


客室内



広い!


プールサイドに沿って建つ棟からの眺め



このソファでも寝られそうだ笑





日本人には、バスタブのついている部屋はありがたい。お湯の出もよかったし


ラグーン側のダイニングから


バワ建築はイスが主役….


とてもヘルシーな朝食メニュー
ジェットウィング・ライトハウス
スリランカ南部ゴール(Galle)にあり、オランダ植民地要塞を連想させる外観、岩盤を大胆に残した廊下、しぶきが飛んできそうな波打ち際のテラス席など、目の前に広がる壮大なインド洋の景観と、自然素材を取り込んだ空間構成となっている。


波打ち際のテラス席


エントランスの螺旋階段を上る圧巻のオブジェは「ラナ・セナナヤケ」作 モチーフは、キャンディ王国がポルトガルを撃退したとされる「ランデニウェラの戦い」


客室インテリア


海との調和がモチーフと思われるカラーデザイン


コロニアル様式の外観


ヘリタンス・カンダラマにも通じる岩盤を残した?オブジェ


サントリーウィスキー碧AoのCMはジェットウィング・ライトハウスで撮影している。



スリランカにとって良かったと言えないかもしれませんが、ヨーロッパの植民地だった頃のコロニアル様式が人気の観光地となっています
エイトキン・スペンス
スリランカの大手コングロマリット(複合企業)エイトキン・スペンス(Aitken Spence グループ)は、150年ほど前に、スコットランド商人のトーマス・クラークと、パトリック・ゴードン・スペンスが提携して誕生した。占領下のこの時代、イギリス系・スコットランド系の貿易商たちがコロンボ港を拠点に闊歩していた。
のちに、スペンスはエドワード・エイトキンとパートナーになり、エイトキン・スペンスとして本格始動!独立後のスリランカで、輸送・金融・観光・エネルギーなど他分野へ進出。
ヘリタンス・アフンガッラ
スリランカ南西海岸沿いアフンガッラに位置し、エイトキン・スペンスが手掛けるビーチリゾート。ホテルの象徴となっているのが、バワデザインの「ラブチェアー」


ホテル入口正面に広がるインフィニティプール


1981年開業時は「トリトン・ホテル」という名称だった。ホテル入口にトリトン(ギリシャ神話の海神ポセイドンの息子で半人半魚)のオブジェがある。


部屋のベランダから—パームツリーに囲まれた夕焼けのビーチ、インド洋一望のロケーション


夜のプール、屋内の反射池とインフィニティプールが海へと繋がる設計


イエローとグリーンをテーマカラーとした明るいエントランス
ジェットウィングとエイトキン・スペンス
どちらも、バワ設計のホテルを前面に打ち出しているが、それぞれ特徴がある。
ジェットウィングは、50年前にハーバート・クーレイ個人が創業のファミリー企業、現在は創業者の理念を受け継ぐ家族が経営している。
対してエイトキン・スペンスは、英国系コングロマリット(メルスタコープ)の一部門であり、その資本力と国際的展開力で市場を広げている。



どちらも、ジェフリー・バワを企業の象徴的存在としているのですが



ジェットウィングのクーレイ氏の方が、バワとより強い繋がりを持っていたように感じます



大企業のエイトキン・スペンスとバワは施主と設計の関係、ジェットウィングとバワは設計と施工の関係に近い、面白いね



なるほど、実際一緒に仕事する関係の方が密になりますよね



企業の体質的にも、商人とエンジニアみたいな違いを感じたよ



例えば?



まず客層かな



あぁ….なるほど、ヘリタンス・アフンガッラの朝、ダイニングはファミレスのように賑やかでしたから



たまたまかもしれないけれど、ジェットウィング系列は、ラグーンもライトハウスも大人の空間で過ごせる感じがしたから
チームジェフリー・バワ



バワは建築家というより、空間デザイナーという方がしっくりきます



そうだね、外部の環境、内部における家具調度品まで全て、その境界線を作らず一体化させてしまうから



でも、一人で全部やるのは大変だろ



はい、そこには、バワ御用達の四銃士がいたんですよ



チームジェフリーバワです
1.イナ・ダ・シルワ(Ena de Silva)バティックの制作・販売
2.バーバラ・サンソーニ(Barbara Sansoni)ベアフット(スリランカの定番お土産スポット)の創業者
3.ラキ・セナナヤケ(Laki Senanayake)ヘリタンス・カンダラマのフクロウやジェットウィング・ライトハウスの螺旋階段の彫刻。
4.イスメス・ラヒーム(ismeth Raheem)作品はシナモン・ベントタビーチホテルのサロンに並ぶ



イナ・ダ・シルワさんのバティックは、№11の車庫の壁を飾ってたね



ベアフットはカラフルなお土産がいっぱいあって、観光客の定番スポットです



シナモン・ベントタビーチはまだ行ってないなぁ



バワの元オフィスだったところは、改装してギャラリーカフェになっています
ザ・ギャラリーカフェ
バワの元オフィスだった場所


ザ・ギャラリーカフェ店内


ブラックポークカレーがおすすめ
植民地の歴史
ヨーロッパ列強が世界へと乗り出し勢力範囲を広げたた大航海時代(15世紀~17世紀)、その航路の一部として翻弄されたのが、インド洋に浮かぶ島国スリランカだった。
繰り返された支配の歴史が刻まれた街ゴール、旧市街と城壁は世界文化遺産として残されている。コロニアル様式の建物が立ち並ぶ旧市街内部は観光スポットとなり、世界中から観光客がやってくる。



日本も島国ですけれど、大航海時代にヨーロッパ列強に翻弄されなかったのは、ヨーロッパから遠かったからでしょうね



そうだろうね



スリランカは、ポルトガル、オランダ、イギリスと、幾度も支配の手が変わっていった歴史がある



それらが、コロニアル様式の建築や街並みとして残っていったんですね



植民地時代の遺物がスリラの象徴的存在となって、観光産業を押し上げてくれている、皮肉なものだね



最初にやってきたポルトガルの狙いには、シナモンの独占があったと



スリランカのシナモンは世界最高品質らしいから



シナモンは、中世ヨーロッパでは防腐・防臭の役目の上に富の象徴だったらしいです



いつの世も、覇権争い、それも他人の家で笑



ジャイアンですね



シナモンの次が紅茶



ただ、最初はスリランカではコーヒー栽培をしていたんですって



そうなんだ



それが19世紀後半にコーヒー農園がさび病で壊滅したので、イギリスの植民地となっていたこの時期、スコットランド人がやってきて紅茶プランテーションを開きました



紅茶にシナモンはここからか….



なるほど



そして、世界三大紅茶の産地なんですが
1.ダージリン インド・西ベンガル州ダージリン
2.ウヴァ スリランカ・ウヴァ地方
3.キーマン 中国・安徽省祁門県





赤く囲ったところが、ウヴァ地域です



紅茶に適した場所なんだ



しかし、英国の一人占めですよね



こういう歴史を知ると、紅茶というのは、政治と経済を飲んでいるようなものだな



まさに笑



さて、誰が実際の作業をしていたのでしょうか?



商業ベースになれば、必ず人手が足りないという状況を生み出すから



スリランカの高地にそんなに人が住んでるわけないし



外人頼みしかない、今の日本と同じ



はい、近場から調達したんですよ、南インドからタミル人労働者を



なるほど….



人種、宗教、賃金格差、複雑な問題は今も解消されていないようです



日本では、外国人労働者は守られているね



そうですよね