外国人技能実習生採用という本来の使命の合間を縫い、再びバワ建築を巡る旅へ—2度目のスリランカ【後編】2大ブランド、ジェットウィングとヘリタンス

【前編】№11、ルヌガンガはこちらから

ジェフリー・バワ
スリランカが生んだ天才建築家、バワの建築スタイルは「熱帯建築」または「トロピカル建築」と呼ばれ、アマンリゾーツの創業者エイドリアン・ゼッカーや、その多くのホテルを設計した建築界の大御所ケリー・ヒルをはじめ、ホテルや住宅を手がける建築家やインテリア・デザイナーたちが参考とする一つのバイブル的存在となっている。
 —Jetwing Japan より 

SHIBAZAKI

さて、後編は少し突っ込んだ話題でいきます

SHIBAZAKI

今回の建築視察のメインは、ジェフリー・バワを堪能することでしたが、もう一つ裏の目的がありましたね

KAWAMURA

そう、スリランカを代表する二つのホテルブランドを「はしご」視察する、という目的だ

SHIBAZAKI

「エイトキン・スペンス」と「ジェットウィング」、この2大企業です

SHIBAZAKI

エイトキン・スペンスのホテルブランドが「ヘリタンス(遺産)」

ヘリタンス・カンダラマ

KAWAMURA

去年は「ヘリタンス・カンダラマ」、今回は「ヘリタンス・アフンガッラ」を視察してきた

SHIBAZAKI

そして、もう一つは社名と同じ「ジェットウィング」

ジェットウィング(Jetwing)

SHIBAZAKI

ジェットウィングはファミリー企業で、ホテルだけでなく、旅行業や航空業務まで関連を横断的に展開しているグループ構造になっています。

植民地時代の建物を改築したホテルしかなかった時代に、初めてのホテル建設で、設計をバワに依頼したのは材木商で財を成したミルフィスン、彼から建設を依頼されたのが後にこのホテルを買い取ることになったハーバート・クーレイ。現在は、クーレイの娘と息子がジェットウィング・グループを引き継いでいる。

SHIBAZAKI

クーレイ氏は29歳で父親から建設業を引き継ぎ、その頃バワの設計した住宅を、家業のクーレイ建設が引き受けています

SHIBAZAKI

ジェットウィング・ラグーンの前身「ブルー・ラグーン」の建設を依頼されたのが、クーレイ氏が35歳ぐらいの頃ですね

KAWAMURA

その後の経験がクーレイ氏をホテル運営へと導いたのか

SHIBAZAKI

ジェットウィング・グループの始まりは1973年、クーレイ氏が44歳のとき

SHIBAZAKI

今回、ジェットウィング・ラグーンジェットウィング・ライトハウス、それとジェットウィングからユニオン・リゾーツに引き継がれたザ・ブルー・ウォーターという、バワ建築3ヶ所を駆け巡りましたね

KAWAMURA

タイトなスケジュールだったけれど、やはり体感しなくては

ジェットウィング・ラグーン

スリランカ西海岸の町ネゴンボ(Negombo)郊外タラヘナ地区にあり、静かなラグーン(潟湖)とインド洋のビーチに挟まれたリゾートホテル、「ウェルネス(Wellness)」をテーマに、大人限定(Adults Only)の落ち着いたプライベート空間を満喫できる。

SHIBAZAKI

こちらのホテルは、18歳未満は利用できないんですよ

KAWAMURA

いいね、ありだよ

ジェフリー・バワが初めて設計したホテルとして知られている。バンダラナイケ国際空港(コロンボ)から車で20~30分程度というアクセスの良さ。ネゴンボのラグーンとインド洋に挟まれた絶好の立地に、風が吹き抜け、自然の光が降り注ぐ、バワが初期に手掛けたトロピカル・モダニズム」の代表作

ジェットウィング・ラグーンの顔、100mプール。

KAWAMURA

ジェットウィング・ラグーンはすごくいい、何がってまず空港から近いから、夕方に到着する便だと楽だよね

KAWAMURA

今回の視察はオフシーズンだから人が少なくて、100mプールは独り占めだった

SHIBAZAKI

笑よかったですね

インド洋を見渡すビーチ

レセプションの前の通りを渡るとビーチ、目の前に広がるのはインド洋!なのですが、犬がうろうろしていたので、ここで退散。

KAWAMURA

日本と違って首輪をつけていない犬がいっぱい歩いてるのが、ちょっと….

SHIBAZAKI

苦手ですもんね笑

客室内

KAWAMURA

広い!

プールサイドに沿って建つ棟からの眺め

KAWAMURA

このソファでも寝られそうだ笑

KAWAMURA

日本人には、バスタブのついている部屋はありがたい。お湯の出もよかったし 

ラグーン側のダイニングから

バワ建築はイスが主役….

とてもヘルシーな朝食メニュー

ジェットウィング・ライトハウス

スリランカ南部ゴール(Galle)にあり、オランダ植民地要塞を連想させる外観、岩盤を大胆に残した廊下、しぶきが飛んできそうな波打ち際のテラス席など、目の前に広がる壮大なインド洋の景観と、自然素材を取り込んだ空間構成となっている。

海と建築の融合を極めた作品で、バワ後期の代表作に数えられるジェットウィング・ライトハウス。クーレイとバワの関係は、信頼という土台の上にあり、バワの建築には「信じて任せる」「口を挟まない」という姿勢を貫いたと言われる、クーレイはバワにとって最高のパトロンだったようだ。

波打ち際のテラス席

エントランスの螺旋階段を上る圧巻のオブジェは「ラナ・セナナヤケ」作 モチーフは、キャンディ王国がポルトガルを撃退したとされる「ランデニウェラの戦い」

客室インテリア

海との調和がモチーフと思われるカラーデザイン

コロニアル様式の外観

ヘリタンス・カンダラマにも通じる岩盤を残した?オブジェ

サントリーウィスキー碧AoのCMはジェットウィング・ライトハウスで撮影している。

SHIBAZAKI

スリランカにとって良かったと言えないかもしれませんが、ヨーロッパの植民地だった頃のコロニアル様式が人気の観光地となっています

エイトキン・スペンス

スリランカの大手コングロマリット(複合企業)エイトキン・スペンス(Aitken Spence グループ)は、150年ほど前に、スコットランド商人のトーマス・クラークと、パトリック・ゴードン・スペンスが提携して誕生した。占領下のこの時代、イギリス系・スコットランド系の貿易商たちがコロンボ港を拠点に闊歩していた。

のちに、スペンスはエドワード・エイトキンとパートナーになり、エイトキン・スペンスとして本格始動!独立後のスリランカで、輸送・金融・観光・エネルギーなど他分野へ進出。

ヘリタンス・アフンガッラ

スリランカ南西海岸沿いアフンガッラに位置し、エイトキン・スペンスが手掛けるビーチリゾート。ホテルの象徴となっているのが、バワデザインの「ラブチェアー」

ホテル入口正面に広がるインフィニティプール

1981年開業時は「トリトン・ホテル」という名称だった。ホテル入口にトリトン(ギリシャ神話の海神ポセイドンの息子で半人半魚)のオブジェがある。

部屋のベランダから—パームツリーに囲まれた夕焼けのビーチ、インド洋一望のロケーション

夜のプール、屋内の反射池とインフィニティプールが海へと繋がる設計

イエローとグリーンをテーマカラーとした明るいエントランス

ジェットウィングとエイトキン・スペンス

どちらも、バワ設計のホテルを前面に打ち出しているが、それぞれ特徴がある。

ジェットウィングは、50年前にハーバート・クーレイ個人が創業のファミリー企業、現在は創業者の理念を受け継ぐ家族が経営している。

対してエイトキン・スペンスは、英国系コングロマリット(メルスタコープ)の一部門であり、その資本力と国際的展開力で市場を広げている。

SHIBAZAKI

どちらも、ジェフリー・バワを企業の象徴的存在としているのですが

SHIBAZAKI

ジェットウィングのクーレイ氏の方が、バワとより強い繋がりを持っていたように感じます

KAWAMURA

大企業のエイトキン・スペンスとバワは施主と設計の関係、ジェットウィングとバワは設計と施工の関係に近い、面白いね

SHIBAZAKI

なるほど、実際一緒に仕事する関係の方が密になりますよね

KAWAMURA

企業の体質的にも、商人とエンジニアみたいな違いを感じたよ

SHIBAZAKI

例えば?

KAWAMURA

まず客層かな

SHIBAZAKI

あぁ….なるほど、ヘリタンス・アフンガッラの朝、ダイニングはファミレスのように賑やかでしたから

KAWAMURA

たまたまかもしれないけれど、ジェットウィング系列は、ラグーンもライトハウスも大人の空間で過ごせる感じがしたから

チームジェフリー・バワ

SHIBAZAKI

バワは建築家というより、空間デザイナーという方がしっくりきます

KAWAMURA

そうだね、外部の環境、内部における家具調度品まで全て、その境界線を作らず一体化させてしまうから

KAWAMURA

でも、一人で全部やるのは大変だろ

SHIBAZAKI

はい、そこには、バワ御用達の四銃士がいたんですよ

SHIBAZAKI

チームジェフリーバワです

1.イナ・ダ・シルワ(Ena de Silva)バティックの制作・販売

2.バーバラ・サンソーニ(Barbara Sansoni)ベアフット(スリランカの定番お土産スポット)の創業者

3.ラキ・セナナヤケ(Laki Senanayake)ヘリタンス・カンダラマのフクロウやジェットウィング・ライトハウスの螺旋階段の彫刻

4.イスメス・ラヒーム(ismeth Raheem)作品はシナモン・ベントタビーチホテルのサロンに並ぶ

KAWAMURA

イナ・ダ・シルワさんのバティックは、№11の車庫の壁を飾ってたね

SHIBAZAKI

ベアフットはカラフルなお土産がいっぱいあって、観光客の定番スポットです

KAWAMURA

シナモン・ベントタビーチはまだ行ってないなぁ

SHIBAZAKI

バワの元オフィスだったところは、改装してギャラリーカフェになっています

ザ・ギャラリーカフェ

バワの元オフィスだった場所

ザ・ギャラリーカフェ店内 

ブラックポークカレーがおすすめ

植民地の歴史

ヨーロッパ列強が世界へと乗り出し勢力範囲を広げたた大航海時代(15世紀~17世紀)、その航路の一部として翻弄されたのが、インド洋に浮かぶ島国スリランカだった。

繰り返された支配の歴史が刻まれた街ゴール、旧市街と城壁は世界文化遺産として残されている。コロニアル様式の建物が立ち並ぶ旧市街内部は観光スポットとなり、世界中から観光客がやってくる。

SHIBAZAKI

日本も島国ですけれど、大航海時代にヨーロッパ列強に翻弄されなかったのは、ヨーロッパから遠かったからでしょうね

KAWAMURA

そうだろうね

KAWAMURA

スリランカは、ポルトガル、オランダ、イギリスと、幾度も支配の手が変わっていった歴史がある

SHIBAZAKI

それらが、コロニアル様式の建築や街並みとして残っていったんですね

KAWAMURA

植民地時代の遺物がスリラの象徴的存在となって、観光産業を押し上げてくれている、皮肉なものだね

SHIBAZAKI

最初にやってきたポルトガルの狙いには、シナモンの独占があったと

KAWAMURA

スリランカのシナモンは世界最高品質らしいから

SHIBAZAKI

シナモンは、中世ヨーロッパでは防腐・防臭の役目の上に富の象徴だったらしいです

KAWAMURA

いつの世も、覇権争い、それも他人の家で笑

SHIBAZAKI

ジャイアンですね

SHIBAZAKI

シナモンの次が紅茶

SHIBAZAKI

ただ、最初はスリランカではコーヒー栽培をしていたんですって

KAWAMURA

そうなんだ

SHIBAZAKI

それが19世紀後半にコーヒー農園がさび病で壊滅したので、イギリスの植民地となっていたこの時期、スコットランド人がやってきて紅茶プランテーションを開きました

KAWAMURA

紅茶にシナモンはここからか….

SHIBAZAKI

なるほど

SHIBAZAKI

そして、世界三大紅茶の産地なんですが

1.ダージリン インド・西ベンガル州ダージリン

2.ウヴァ スリランカ・ウヴァ地方

3.キーマン 中国・安徽省祁門県

SHIBAZAKI

赤く囲ったところが、ウヴァ地域です

KAWAMURA

紅茶に適した場所なんだ

SHIBAZAKI

しかし、英国の一人占めですよね

KAWAMURA

こういう歴史を知ると、紅茶というのは、政治と経済を飲んでいるようなものだな

SHIBAZAKI

まさに笑

SHIBAZAKI

さて、誰が実際の作業をしていたのでしょうか?

KAWAMURA

商業ベースになれば、必ず人手が足りないという状況を生み出すから

SHIBAZAKI

スリランカの高地にそんなに人が住んでるわけないし

KAWAMURA

外人頼みしかない、今の日本と同じ

SHIBAZAKI

はい、近場から調達したんですよ、南インドからタミル人労働者を

労働者の移送手段は、イギリス植民地当局と地主が主導し、カンガ二制度と呼ばれる中間搾取制度で集められた。

KAWAMURA

なるほど….

SHIBAZAKI

人種、宗教、賃金格差、複雑な問題は今も解消されていないようです

KAWAMURA

日本では、外国人労働者は守られているね

SHIBAZAKI

そうですよね

【前編】№11、ルヌガンガはこちらから

ブログやニュース記事、会社のPR、マーケティングなど、取材・ライティング、SEO対策のご相談はこちらへ

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
目次