
「左官回話」という書籍
出版は10年ほど前になりますが、左官という仕事に不案内な私でもとても面白く読めました。
左官の基本材料の説明から始まり、日本各地に残る壁の、そこにしかない土、そこで育まれた職人の技術、そんな左官という仕事に向き合う職人さんたち8人の講座の記録と、さらには重鎮と位置付けられていらっしゃる榎本新吉氏、久住章氏へのインタビュー、こんなすごい内容がギュウギュウっと詰まっているんです。
挾土秀平さんなど8人の「セメント一辺倒という世に流されることなく、土や在来の材料、伝統的な技術をだいじにしていて、お偉い大家のような顔をしない中堅どころの職人」の方々をゲストに、連続講座が開催されたときの記録と、左官職人の二重鎮榎本新吉氏と久住章氏、原田進氏へのインタビューをまとめた書籍「左官回話」。



この本に出てくる人たちって、よく知られている左官職人さんたちだね。
名古屋出張で使った名古屋プリンスホテルスカイタワーエントランスにも、挾土さんの作品があったよ、壁ではなく「作品」がね。





私はザ・ペニンシュラ東京で、挾土さんの作品を見ました。
ただ、ここでは作品的な視点ではなく、ビジネスの視点から左官の仕事を見ていきたいと思ったのですが、そういった数字(お金)が載っている箇所ってあまりないんですよ。



この壁には幾ら掛かったとか、そういうのも興味を引く対象となるんだけど、なんか金の話をすると嫌われるみたいな・・・
けれども生業として左官をやるなら、むしろ一番大事なところなんだけどね金の話は、ビジネスとしてね。



この本の中では、ビジネスという視点から捉えられる部分は少ないのですが、あえてそこにフォーカスしてみました。



ほんの少しでしたが、お金の話に触れている部分があったので抜粋します。
Q:予算の話なんですけど、左官の仕事は、だいたい平米いくらぐらいするんですか?
A:僕なんかは、漆喰の場合、平米3,000円~30万円です。ボードにペロッて塗っただけだと3,000円、下地から土蔵造りの工程で全部やると30万円。え~と・・・、多くみといていただいた方が・・・いい壁ができます。(笑)



お客さんの方も、いい壁にしたくてもお金がないとできませんね。平米30万円ということは、坪100万円の壁ですよ、えーっと畳2枚分の壁に100万円なので・・・庶民には高根の花です笑 だから、庶民にも買えるぐらいの家からは左官仕事が消えていった、それも仕方ないのかも。
Q:若い設計士さんたちとの仕事には、興味がわいてきますが、予算は少なさそうですね。
A:予算があるより、ないものをどうやって納めようかなという方が面白いかもしれない。・・・技術に見合う分の報酬は、本当言うと欲しいですけれど、気がついたら、嫁さんに「赤字やで」と言われて、知らん顔して子どもと風呂に入る・・・そういう日々ですね。



見える左官仕事は、職人としてのやりがいは大きいと思う。ただ、ビジネスにするのは難しいんだよ。町場は建売住宅ばっかりになって左官仕事は激減してるし。
原点回帰、基本に戻って考えれば当然のこと、仕事は金にならなければ続かない。



建売住宅と言えば、昔、私の友人のお父様が、高台にカラフルに並んだ建売住宅を見て、パン屋が作ったケーキみたいな家ばっかり建てやがってよぉ、と言っていたのを思い出します。
語弊はありますが・・・つまり左官屋さんがやるより安く仕上がって、パッと見た目が良くてお手頃価格の建売住宅、左官仕事に取って代わったのはクロス屋さん?、塗装屋さん? 誰かの損は誰かの得というところでしょうか。



金にならない仕事に人は寄り付きません。人手不足、建設職人の激減、一番の原因はやはり、やりがいが「金にならない」だと思います。※(最後に参考ブログへのリンクを載せています)



ところで、左官の仕事を大きく変えたのが、いわゆるセメントと呼ばれるものの発明だ、そのセメントが日本に入ってきて150年ほど、左官の歴史に比べれば、たった150年なんだけどね・・・
日本最大のセメントメーカー太平洋セメントの、最近の売上高はざっと9,000億円ほど、材料はどでかいビジネスになっている、その他の左官材などもね。



材料やさんはどんどん儲けて大きくなっている、けれどもその材料を扱う職人仕事が儲かるビジネスになりにくい。材料と職人、どっちが主役なのか・・・



セメントについてはこう書かれています。
セメントとかモルタルやコンクリートにいまや特別な感じはない。この材料の扱い易さ、自由さ、堅牢さ、量産性と便利さのおかげで、土を捏ねて塗るという伝統的な左官業の在り方は後退を余儀なくされてしまった。いわゆる世間でセメントと呼ばれているものは、ポルトランド・セメントのことを指す。このポルトランド・セメントという粉末の登場によって世界は変わったのである。・・・・・コンクリートとは、セメントに砂と砂利と水を配合してできあがる堅牢な建築材のことである。風雨にも見事に耐えられる。こんなインスタント建材はかつてなかった。



セメントの説明には少々異議ありです。ここは職人目線で見ると、一年を通しての気候、北国から南国まで、異なる自然条件のもとで扱う生コンクリートの難しさは、また別格です。
それがまるでカップヌードル?容器を必要とせずお湯を注ぐだけでできあがる美味しい食品である。空腹を見事に満たせる、こんなインスタント食材はかつてなかった、的な表現をされていますが、これはコンクリートに対峙すること35年の仲松信夫氏の記事を是非読んで欲しいですね。※(最後に参考コラムへのリンクを載せています)



8人の職人さんの中、挾土秀平さんがこう言っています。今から10年前のことですが。
今まで、建築というのは分業化、分業化でやってきた。タイル屋、タイル下地屋、タイル洗い屋、すべてに分業化している。だから、バトンタッチが多くなりすぎて、工程がより複雑になって、誤解が生まれて、ひとつのことで工程がぶつかってけんかばかりしている。おさまるものがおさまらない。これからは複業化の時代だと思います。分業化した人間を雇えば雇うほど、クオリティは下がって、バラついて、ますますダメになる。



そのとおり!だと思うね。
だから、モノリスグループでは、この複業化を一括施工と言い換えている。分業、分業でめちゃくちゃ増えた無駄、そのムダを無くすために、うちは多能工を育成し、一括施工という提案をし続けている。



挾土さん、こんなことも言ってます。
僕の壁は、左官じゃなくてアートだろうとよく言われるけれど、僕はアートをやりたくてやっているのではなくて、そうじゃないと塗り壁ができなかったからということです。そのくらい派手なものでなかったら、時代が受け入れてくれなかったということです。



ところで、今、建築というのは分業、分業。左官も分業、分業、今は。
ということは、以前は分業ではなかったのでしょうか?いつ頃から分業になったのでしょうか?



それね、オレもうんと古いことは知らないから、調べてみた。



これは、日本左官会議のサイトですね。左官の未来に危機を抱いている挾土さん、できることから行動を起こしています。
もともと左官屋が吹付けをやっていたんですよ、ポンプまわして。汚れていやだから、吹付け屋という商売が出てきたの。外部のモルタル塗り、内部のプラスター、土間モルタル、それにブロック積み、吹付け、レンガ、防水、みんな左官仕事だった。ようけ仕事があった。仕事としては離しちゃったんだけど、今思えばほんとは吹付けは離したくなかった。いまは塗装屋さんの仕事になっちゃった。いま左官屋さんが吹付けもっていたら、ものすごく儲かる業種として存続していますよ。 座談会「俺たち左官の70年」より



ここに答えがある、汚れるからいやだとか、やりたくないからとか、その頃は仕事がいっぱいあったから、簡単に仕事を捨ててしまった。結局、左官職人が自分で自分の首絞めてしまったんだよね。



当時、左官人口が最大の22万人だったとか、高度経済成長期には30万人と、そうして今は、3万人を割る事態でしょうか・・・



これからは、先人が捨てた仕事を拾っていく。さらにもっと関連する仕事も巻き込んでいきたいね笑
※(最後に参考サイトのリンクを載せています)



捨ててきた仕事を拾い集めて、昔の左官屋は何でもできる「何でも屋」、今それは「複業」をこなす多能工となり、一括施工というシステムがムダをそぎ落とし、左官屋が、左官職人がビジネスとして成り立つようにする。



原点回帰だね



