100人を超える態勢で乗り込んできたマルサの捜索だったにも拘らず、それらしきブツが何も出てこなかった。後日、依頼した弁護士がボソッと洩らしたけれど、ブツがない案件は長くなるらしい。
現在、川村が実質オーナーとなっている会社は3社、マルサが入ったのはその3社のうちの1社で、調査対象となった期はまだ創業からたった3年しか経っていなかった。たった3年で、国税がやってくるほどの会社にしてしまった川村の手腕は、事件を担当した弁護士や税理士も感心させていたが、そもそもこの会社を創るきっかけとなるもう一人の社長が人いた。
もう一人の社長
話は少しややこしくなるが、建設業という業界内で会社経営をしていた川村に近づいてきたもう一人の社長、その社長も自分の会社を経営していたが、どうも会社の経営が上手くいっていなかったようで、川村にいろいろと相談をしてアドバイスをもらったりしていた。さらには、取りっぱぐれていた会社の売掛金の回収まで川村に泣きつき、川村は無償で回収してやっていた。
だんだんに川村との距離を縮めていったもう一人の社長は、「こんな事業をやりたいんだ、もっと業界を良くしたいんだ」という熱い思いを川村に語るようになり、やがてその熱量が川村を動かすこととなった。しかし、それ以前のリサーチで既に川村の嗅覚はそこに確かなビジネスチャンスを嗅ぎ分けていたから、緻密な現状分析と大胆な企みで新会社設立の構想はスピーディーに実現されていった。
2人の代表取締役
新会社創立時、まずはビジネスを提案してきたもう一人の社長を主に据え、川村はサポートに廻ろうとしていたが、自社の資金繰りにも窮していたもう一人の社長には新会社を運営していく余剰な資金がなかったので、川村が自身の金で新会社に資金注入をしていった。さらには建設業許可取得の件も重なったことから、川村ともう一人の社長による「二人代表」という組織体制ができ上っていった。

新会社を軌道に乗せ始めたのは震災による復興事業だった。この仕事が新会社の売上を押し上げていく状況の中で、川村は優先的にもう一人の社長に利益が回るよう配慮していったが、後悔先に立たずでそれがアダとなってしまった・・・
もう一人の社長は金回りがよくなるにつれすっかり浮かれてしまい、いつの間にか高級腕時計やブランド物のカバンや靴、朝まで深酒、女に高級レストラン、高級品のプレゼント、旅行・・・さらには株にまで手を出していた。
多少はもう一人の社長を擁護していた川村も、さすがにその代表の目に余る行動や勘違いな言動が多くなると、川村がそれを咎める場面が度重なるようになり、もう一人の社長にとっては川村がだんだん鬱陶しい存在になっていった。川村としては、最初の頃に志を熱く語っていたもう一人の社長のその熱量に真剣に向き合っていくつもりだったので、彼に厳しい態度で臨んだこともあったかもしれない。そんな川村の思いは届かずむしろ逆効果に、もう一人の社長は少しずつ川村と距離を取り始め、社員たちからも疎んじられていたこともあり、事務所への顔出しも激減しやがて会社から去っていった。
川村の意地
そんな経緯から、代表取締役が川村一人になって2年後のガサ入れだ。マルサの調査対象となった期は、もう一人の社長が以前から経営していたほうの会社に優先的に金を流すなど、確かにずさんな会計処理があった。それら全ての責任が会社に残ったほうの代表である川村に降りかかってきたのだ。
それで、はい、そうですかと納得はいかないだろう。ガサ入れの翌日から、川村の闘いは国税を相手に、この脱税事件に当時のもう一人の社長を引きずり出し、責任を取らせることが目的となった。だから、川村だけを標的にして入ってきた国税にそう簡単に屈するわけにはいかない。
国税の目的が一に告発、二に税額なら、そんなものはくれてやる!川村の目的は一にも二にも、この事件を引き起こしたもう一人の社長をこの場に引きずり出すことだった。良い思いだけしての逃げ得は絶対に許さない!
査察のメンツ
ほぼ黒の目星をつけて、100人以上の態勢で関係各所に乗り込んできた査察官たちだ、ブツがなかったでは済まされない。翌日から査察官たちは押収していったモノの検討に入り、川村も他の関係者たちも呼び出しには素直に応じて最大限協力したつもりだ。深夜にまで及ぶ長時間の取り調べで川村は持病の腰痛(椎間板ヘルニア・脊柱管狭窄症)にかなり苦しんだ。
取り調べも最初の頃は査察官たちも優しく接してくるが、だんだんに厳しく迫ってくるようになった。
査察官の目的は一に告発だ、査察官たちはゴールの告発に向けて執拗に責めてくる。けれども川村には川村の主張があり、貫き通すだけだった。
川村はガサ入れ後すぐに弁護士事務所を訪ね、脱税弁護を専門とする経験豊かなベテランの弁護士に依頼した。取り調べにおいても助言が欲しかったからで、弁護士は連携している税理士にすぐ連絡をとってくれた。その税理士と直接会って話をし、元国税の査察官でもあったその税理士から、取り調べに対して貴重なアドバイスを貰うことができた。
川村以外にも国税からの呼び出しがあった人たちに、この税理士のアドバイスは有難かった。ほとんどの関係者が初めての経験だ。どういう態度で臨めば良いのか混乱していたが、人間味があり諭すような税理士の助言には懐の深さを感じさせ、信頼を寄せるに足る人柄の税理士だった。
取り調べ室では二人の調査官とのやり取りになる。向かいあった一人が質問し、同時にパソコンに質疑応答を打ち込んでいくから、できあがった調書にはかなり違うことが書かれていたりする。全部終わってから一問ずつ確認し押印を求められていくので、長時間に及ぶと精神的な疲れも出て答えたことと違っていても、少しぐらいどうでもいいかとなりがちだ。しかしここで面倒がらずに、自分が言った内容と違う記述になっていれば、たとえ些細なことでも訂正を申し出ること、何でもかんでもいい加減な押印をしないこと、後々の裁判になったとき思わぬ不利になる場合があるから。もう一人の調査官は無言のパフォーマンスで威圧感出してきたりするけれど、無視しておこう。
それから、最後の確認は調査官が調書を読み上げて行う。このやり方は国税側の作戦か?長時間の取り調べで疲れているうえに、読み上げられて聞くだけだとうっかり聞き逃してしまうこともある。調査官たちは、一連のストーリーに作文していくには、訂正が入らない方が都合がよいだろう。一度、他の関係者が調査官に申し出てみた。「最後にまとめて全部読み上げるのではなく、一問ずつその度に確認させてもらえませんか?」と、「できません」と一蹴されて終わった。
税理士にアドバイスを貰っていたので、川村も他の関係者も割合リラックスして応じることができたが、川村側の弁護士チームに対して国税側はどう感じていただろうか?歓迎はされてはいなかったようだ。変な弁護士つけやがってと調査官の捨て台詞があったので(笑)
賽は投げられた
ガサ入れから半年ほど過ぎた頃から、国税からの頻繁な呼び出しも途切れ、まるで何事も無かったかのような時間が流れた。このまま終わるかと思ったりもしたが、そう甘くはない、告発率70~80%だ。査察のメンツと川村の意地がもつれあって1年半が過ぎた頃、場所は検察に移った。
国税のときと同じ態度、同じ主張で検察の初日に臨んだ川村だったが、初日を終えてすぐに弁護士から査察と検察の違いを説明され、このままでは逮捕拘留されるかもしれないという局面に、川村は素早い判断で作戦を変えた。「オレはやってない、やったのはもう一人の社長だ」という主張から、「オレともう一人の社長の2人でやった」に証言を翻した。川村のその証言は、川村をそれまで温かく支援してきた人たちを大いに戸惑わせたが、川村にはブレることのない目的がある、国税の標的は川村だったが、川村の標的はもう一人の社長だ。
その存在がなくては成り立たなかった事件として、当時のもう一人の社長をこの場に引きずり出すには検事の力が必要だった。そのための決断であり、もはや引き返すことはできない。賽は投げられた。
肉を切らせて骨を断つ
最初のガサ入れで素直に応じていればここまで長い闘いをする必要はなかったかもしれないが、川村にとっては、普通の人が失うことを恐れる名誉や地位、ましてや国税にむしり取られる金さえも全く意味を持たなかった。川村にとって大きな意味を持つのは「自分の納得」だ。時としてこれが社会の常識と大きく乖離することはあるが・・・
国税調査の段階で、「オレは逃げ切った」と周囲に吹いていたもう一人の社長にきっちり責任を取らせる。それには川村自身も痛手を受ける代わりに、相手にはそれ以上の打撃を与える。川村には意味を持たない「名誉」や「地位」を失くすことが、もう一人の社長には最大の痛手となるだろう。
川村一人を標的にした査察のメンツから解放され、検察では川村の主張が受け入れられるようになっていった。依頼していた弁護士の力もあり、日本版司法取引かと思わせる結末は、もう一人の社長を事件に引きずり込み、川村の執念を実らせた。
